こころのケアとしての表現活動

PTSDは、自然に起こってくる再体験、即ちつらかった記憶の想起を回避することが、その発生の主要な原因となるということが分かってきている。そのメカニズムを簡単に説明すると次のようになる。

 

極端なショックや恐怖を伴う体験は、前頭葉での判断を経る前に扁桃体による恐怖反応を引き起こす。これによって、前頭葉を経ずに情報が直接扁桃体に到達する経路が増強される。それが、いわゆるトラウマ記憶が形成された状態である。それ以後、このバイパス経路が活性化された状態が一定期間続き、それが様々のトラウマ反応を引き起こす。


この状態から回復するためには、関連する現実的な危険のない刺激がバイパス経路から扁桃体に流れることによって引き起こされる恐怖感が、実際には危険のないものであることか繰り返し確認されなければならない。この確認は、実際には、回避せず記憶の想起に向き合うことによって達成される。


従って、PTSDを予防するためには、辛い体験の記憶を回避せずそれに向き合うことが重要になる。

 

そのためには、

 

A.体験の記憶を積極的にひき出し、避けることなくそれに向き合う。
B.体験が自然に想起されるときの嫌な感覚を軽減する。

 

という2つの方法が考えられる。

 

Aは、グループで体験を語り合ったり、体験を絵や作文で表現するといった、いわゆる「表現活動」と呼ばれる方法である。
Bは、体験の想起に伴う嫌な感覚は、誰にでも起こる自然なものであることを教え(心理教育)、その嫌な感覚に対処する方法を実践する(リラクセーション)の2点を柱とした、ストレスマネジメントの方法である。

 

A、Bのどちらの方法が適切であるかは、次のような場面を考えると分かり易い。

 

ある小学校で

 

(先生)

さあ、今日は地震で体験をしたことを絵に描いてみよう。

怖いかもしれないけど、大切なことだから頑張って描くんだよ、でもどうしても描きたくない人は描かなくてもいいからね。

 

(ある女の子の想い)

わたしは思い出すのが怖いので、描きたくありません。でもお隣の人たちはみんな描いています。さあどうしよう。
みんなにからかわれるのはいやだし、仕方ないなと思って描いていると、怖いこと、悲しいことがいっぱい思い浮かんできました…。
家に帰ると、いろんなことを思いだして涙が止まらなくなりました。その夜は怖い夢をいっぱい見ました。
それでわたしは、もう二度と地震のことは考えないようにしようと決心しました。

 

つまり、Aの方法では、上記のように逆に回避を強めることが起こる可能性がある。その結果として、この女の子は、PTSDのハイリスク群に入ってしまうわけである。

 

このように、表現活動には、回避を強めPTSDのハイリスク群を生み出す危険性があるが、これはあくまで初期・急性期に限定されたことである。一定期間がたって、概ね多くの人がトラウマ反応から回復している時点でトラウマ反応を残している場合は、つまりPTSD化している場合は、それは回避が主要な原因となっているのだから、安全な環境の中で記憶の想起を促し、それに向き合わせることが重要な治療方針となる。

 

また、トラウマ反応から回復している人たちにとっても、体験を将来にわたって抱えていくためには、体験の意味づけの変容が必要であり、そのためには表現活動が必須の課題となる。

 

つまり、表現活動は、それを行う時期を見極めておこなわれなければならないのである。

 

まとめると次のようになるだろう。

  1. 体験の記憶に積極的に向き合う=認知の変更を行うためには、表現は必要なことである。
  2. しかし初期・急性期の表現はとても苦しいので、向き合うことは逆に回避(向き合うことの拒否)を促すことがある。
  3. 初期・急性期には、体験を穏やかに抱えるためのストレスマネジメントが適切である。
  4. しかし、初期・急性期を過ぎた段階では、体験に向き合うための表現活動が必要となる。

それは次の二つの理由による。

 

A.PTSDの治療のために=苦痛な記憶は現実的な危機ではないということの確認
B.認知の変容=体験の幅の拡大のために

 

(2016年5月21日 高橋 哲)